私はしばらく「持ち物リスト」の整理に追われた。
分類するだけでも大変な作業である。
しかし、そういう作業を通して、自分がどのようなことに重きをおいているかがわかる。
これからやりたいと思っていることも、見えてくる。漠然としたものだが・・・。
ここまでで終わってしまったら、私の人生はどうなるのだろうか?
エンディングノートを書いたときに想像しただけの最期を遂げるしかないのだろうか?
最期を迎えたとき、やりたいことはすべてやった、という満足感のうちに目を閉じることができるだろうか?
おそらく、今胸の内に抱えているモヤモヤ感をそのままにして、死んでいくのではないか?
そんな気がした。
そんな人生でいいのだろうか?
やりたいことをやってみるには歳をとりすぎている。本当にそうだろうか?
50歳を過ぎてたって新しいことはできる。
現に自分はささやかではあるが、新しいことを始めていた。
60歳代だって70歳代だって、やりたいことを始める人はいる。
決して遅いことはないのだ。
ただ、今やらなければならないのは
やりたいことを明確にする
ことだけだ。
やりたいこと、やりたいこと、と言っているだけでは、きっといつまでたってもできないだろう。
やりたいことは何なのか?
それをはっきりさせなければならない。
持ち物リストをつくったときのように、
「やりたいことリスト」
をつくってみよう。
実現不可能と思われることでもいい。
ちっぽけなことでもよい。
とにかく「書き出してみる」のだ。
仕事でブレーンストーミングの手法はやってみるくせに、自分のこととなるとそれを応用することができないでいた。やってみようとも思わなかった。
だが、「自分自身を整理する」ことで、新しい何かが生まれるのではないか、そんな気がした。
「やりたいことリスト」
書き出そうとすると結構むずかしい。
具体的な光景まで目に浮かぶようなこともあれば、ただ漠然とそうなるといいな~くらいのこともある。
今まではこれらが混在して脳の中にあった。
これでは、実現はしなかっただろう。
脳ははっきりと情景を思い浮かべられることから順に実行していくからである。そうなるように無意識に動いていく。
だから成功したければ、細かいところまで想定できるように考えることである。というのはビジネス書のウケウリであるが、実際ビジネスではなく個人のことでも同じなのである。
やりたいことリストを書き出してから、それを
やりたい気持ちの強い順
に番号をつけてみた。
気持ちは弱いのだが一番実現可能なこと、ではなく
実現不可能でもやりたい気持ちが強いこと、
を重視した。
ビジネスだったら、まず実現可能なところから手をつけていくべきなのだろうが・・・。
これは個人だから「気持ち優先」でいいだろう。
順位をつけた「やりたいことリスト」は、私という人間を表している。
私という人間の内面を表している。
そして、私という人間の「可能性」を表している。
書き出したからといって、これがそのまま実現するとは思っていない。
実際に行動を起こさなければ、何も変化はしない。
しかし、自分が何をしたらいいのかは、おかげではっきりした。
それをするかしないかは、私の自由だ。
すればそれだけの変化が生まれる。
それも記録していけば、ますます励みとなる。
本当はこういうことは40歳くらいからやってみると良かったのだろうが、過ぎてしまったことはしょうがない。
50歳をすぎた中年のおじさんだが、これからどう変化するかを見ていこう。
本当なら1年に1度くらい「やりたいことリスト」を見直したいところだが、慣れるまでは1年も間があいたら忘れてしまう。
最初のうちは1ヶ月に1度、見直してみよう。
そうやっているうちに、私自身に変化が生じれば、最初に書いたエンディングノートも変わっていくことだろう。
エンディングノートも1度書いたらそれでおしまい、という類のものではないのだ。
「自分自身の情報整理」をすることで、自分自身の進むべき方向がわかる。
それがわかれば、一歩ずつでも進むことである。
夢をよみがえらせた ある50男の物語 終