自分史から見えるもの

エンディングノートには、
「自分史」
を書く欄がある。

「私はこういう生き方をした」
ということを遺すものらしい。

どこから書き始めるのかは任意だそうだ。まぁ、よほど年若い人が書くのではない限り、社会に出た18~22歳の間からが適当であろう。

私は22歳から書き始めた。

何も思いつくことがなくても、とりあえず1年ごとに行を設定する。
あとから思い出すかもしれないし。

社会人1年目はこんなことがあったな。
10年勤続のときはこんなことがあったな。

そんなことを思い返しながら、書き込んでいく。

結婚した年。
娘が生まれた年。

そういうプライベートなことも書いていく。

しかし、なんだな。
こうして改めて書いてみると、家族のこと以外はすべて「仕事のこと」だ。仕事=会社のこと、と言ってもいい。

私には、仕事以外に何もないのだろうか?

趣味は?
これといってない。強いて言うなら「読書」だろう。しかし、ビジネス書を読むのでは仕事と大して変わらない。

自分に人間としての幅がないという事実に愕然としてしまった。

いやいや、もうちょっと考えてみよう。何かあるはずだ。
陰に隠れているだけで、何かが・・・。

スポーツ観戦は好きだ。野球もサッカーも相撲もゴルフも。
ただし、TV観戦のみだが。自分ではやらない。

運動は嫌いか?
若い時はジムにも行ってみたが、続かなくてそのうち退会してしまった。1度も行かなくても月会費は払わなくてはならない。もったいなかった。

欄外だが、学生時代にさかのぼってみよう。

運動・・・うーん、体育会系じゃなかったからなぁ。
うちの大学はラグビーが強かったが、私には縁遠い世界だった。体格が貧弱だったから。

私は軽音楽部だったのだ。
音楽か・・・。そういえば、社会人になってから聞いてないなぁ。

高校生になる娘の部屋からはいろいろ聞こえてくるが、どうにも最近の音楽は苦手だ。
かといって、演歌を聴く気にもならない。
もうちょっと、私たち世代好みの音楽はないものだろうか・・・?

いやいや、今は自分史を書くんだった。

音楽に関しては社会人になってからはまるで縁なし。
だから、書き込めない。

我ながらつまらない人生だな・・・。

今だから言うが、このとき自分史を作ったことで、ひとつ進歩があった。

自分史としては、現実にあったこと、を書くのだが、それを書こうとすると

現実には叶わなかったがやりたいと思ったこと

も思い出してくるのだ。

私は、グループサウンズが好きだった。
フォークソングも好きだった。
バンドを自分でもやってみたかった。
自分で演奏をしてみたかった。
ギターはポロンポロンと爪弾いたことはある。

しかし本格的にはやらなかった。
楽器は高価で、私には買えなかったのだ。
しかし、自分で何か演奏したかった、という思いだけは残った。

それで、50の手習いで最近になって「ピアノ」を始めた。

昔だったら高価すぎて手の届かなかったピアノだが、最近は廉価な「電子ピアノ」というものがある。

まったくの初心者で、一本指でたどたどしく弾くだけでも、ヘッドフォンで自分だけが音を聞けるようにしておけば、恥ずかしくはない。

思う存分に弾ける。

これは、私にとって大きな変化である。

やりたいことをやってみる。

長い間、これをタブー視していた自分がいた。

やりたいことをやっていたら、家族を養えない。仕事に集中できない。
それが怖かった。

やりたいことをやるのは、自分勝手だと思い込んでいた。
この年になって新しいことを始めるなんて無理だと思っていた。

全然、難しいことではなかった!
やってみたら、すんなりと始められた。

もちろん、若い時のように簡単に習得できるものではないが、それでも最初の1歩さえ踏み出してしまえば、あとは坂道を転がるように(たとえが悪いが)どんどん動いていける。

自動的に動いていくのである。

何よりも
新しいことを始める勇気
が、私の中にもあったのだ!

これに気づいたことが、大きなことだった。

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