クラス会以来、遺言書のことが頭を離れない。
そういう目で見るからか、ニュースを見ても事件・事故・災害などに反応してしまう。最近は特に思いもよらないところで事件に巻き込まれることも多い。
決して他人事ではない。
しかし、だからといって弁護士に相談するまでの決心はつかない。
すっきりしない日々を送っていたある休日。
散歩のついでに本屋へ寄った。駅前にある大きい書店で、会社帰りに寄ることもある行きつけである。行くと必ずビジネス書の新刊コーナーを眺めるのが習いである。
めぼしいものもなく、文庫本でも見るか?と書店の中を歩いていて、ふと目についたのが
「遺言の書き方」の文字。
実用書の片隅にこんな本が置いてあったとは!今まで気にもしていなかった。
弁護士に相談する前に、本を読んでみるという手があるな、、、。
1冊手にとって見る。
なんだか難しそうだ。公正証書だのなんだの。
やはり個人でやるのは敷居が高そうだな。
その本を棚に戻すと、その隣にあったのが
「エンディングノート」
遺言とは違うのだろうか?
パラパラと見てみると、遺言というほどのものではなく、自分の理想の最期を考えるというものだった。
これなら考えられるかもしれない。
早速2冊ほど購入してみた。
1冊は書き方のみのもの。自分の好きなもの(ノートが一般的)に本のとおりに書いてみてくれ、というもの。
もう1冊は、付録としてエンディングノートが付いている。本で考え方を学んだら、そのノートに実際に書き込んでみよう、というものだ。書く項目も本のとおりに印刷されている。あとは自分のことを書くだけになっていた。
財産については、まだわかりやすい。
きちんとしたことを書くためには調べてみないとわからないが、逆に公正証書を遺してさえあれば、それを作ったか作ってないか、作ってあるならどこに保管してあるか、さえ書いておけば済むことだ。
葬儀についての希望。
これは少々考える必要があった。自分の葬儀を思い浮かべるというのも変なものだ。
だが、最近読んだビジネス書では(自己啓発書のようなものだが)
「自分の葬式を思い浮かべ、どういう人生を送った人と言われたいかを考えろ」
というものがあった。
理想の弔辞でもよい。
その理想の人生を送るべく、目標を定めよというのだ。
それを思い出したのだが、そこまで観念的な理想ではなくて、現実的な理想を書くのがエンディングノートだ。
葬儀は何宗で、とか。墓は?とか。
あまりにリアルなことなので、逆に考えてしまう。
やはり墓は買っておかないと、と思うとその資金計画まで考えをめぐらせてしまう。
さらには「連絡先リスト」
自分の葬儀に誰を呼ぶか?難しいなぁ。連絡しても来てもらえないかもしれないし。
まぁ、自分が死んだあとのことだから、あまり思い煩うことはないのだが。
その前に「介護」の欄がある。
自分で判断が付かなくなったとき。家族にどうして欲しいかを書いておくのだ。
施設に入れてほしいとか。
そうか・・・家族に面倒を見てもらいたいが、介護は大変だからな。負担になっても申し訳ないか・・・。
そうやって考えていくと、普段何も考えないで生活していたことがわかる。
今、何かあったらそれこそ右往左往してしまいそうだ。(まぁ本人はわからないことだが)
しかし、一番考えてしまったのは
「大切な人へのメッセージ」
一応妻宛に書こうとしたが、どうにも照れくさい。今すぐに見せるわけでなし、思ったように書けばいいのだろうが・・・。
これは一番最後だな。
そうやって、先延ばしにするのは悪い癖かもしれない。