クラス会にて思う

あいつはもうこの世にいない?

その訃報を知ったのは、50歳を目前にしてから開かれるようになった何回目かのクラス会でのことだった。

高校を卒業して30年。

それまで疎遠でいたクラスメイトの面々とも、1年ごとに開かれるそのクラス会で顔を合わせるようになっていた。それまでも、仲の良い同士では小さい飲み会程度はあったようだが、クラス会として集まるのは久しぶりである。

若いときは転勤であちこち散らばっていた者も、だんだん戻ってきているようだった。
時間的にも余裕がでてくる立場になっている。残業残業でプライベートな時間がとれなかった若い時とは違う。

そんなこんなで、誰から言うともなしにクラス会としての集まりが年に1度開かれるようになっていた。

参加する人数はクラスの半分くらいだろうか。

都合がつかなくて欠席する者もいるが、それよりも、いまだに現住所がわからなく「連絡先不明者リスト」に載ったままの者が少なくない。

毎回の幹事役は他クラスの友人にも連絡をとったりしてそれぞれの人脈を活かし、一人でも不明者をなくそうと努力していた。そうやって調べて居所が判明した者も毎年何人かいる。
そういう判明者を「今年の目玉!」と称してクラス会に参加させるのが幹事の誉れともなっていた。

あいつは、連絡先不明者の一人だった。
しかし、今年の「目玉」になるはずだった。

私の親友が今年の幹事で、
「おい!あいつの居所がわかったぞ!」と連絡してきたからだ。

会えるのを楽しみにしていたのに・・・。

幹事の発表によれば、昨年暮れに病に倒れ年明けには亡くなったということだった。

居所が確認できて喜んだのもつかの間、クラス会の通知を送って返事をしてきてくれた奥さんの話でわかったのである。

同い年のクラスメイトがもうこの世にいないとは・・・。

確かに50過ぎといえば、けっして若くはない歳である。鬼籍に入るものもいるだろう。

だが、自分が健康でいるとまだまだそんな歳ではない、という感覚でいてしまう。
あいつは高校生のときの若くて元気な姿しか覚えていないから、余計にショックなのだ。

さらに追い討ちをかけたのは、幹事をやっていた親友の一言。

「俺さぁ。あいつの訃報を聞いてからなんだか焦ってしまって。今、何かあって死んだらどうしよう?って思ったらたまらなくなって。ついこの間『遺言書』を作ったよ」

遺言書?財産をどうするとかいうあれか?

「たいした財産はないけどさ。ほら、俺一回離婚しているだろ?別れた女房が育てている子供にも遺るのか?とか、わからない事だらけでさ。弁護士に相談したんだよ。」

へぇ・・・。
遺言書なんて、TVドラマでしかお目にかかったことがないぞ。財産家しか縁がないと思っていた。

しかし、そうでもないらしい。

私には特に遺すような財産はない。ローンがまだ残っているマンションくらいか?これって財産か?あとは貯金くらいだな。
そういうことは妻任せにしてるから、よくわからんな。
生命保険はどれくらい掛けているのだろう?

そんなことも知らない。

クラス会の間中、そんなことを考えてしまってすっかり暗くなってしまった。

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